年賀状作りはオワコンなのに、僕がそれをやめない理由

年賀状を書くという年中行事を、もはや「知らない」という若者が増えているようだ。コミュニケーション手段なんていくらでもあるのに、わざわざお金も時間も掛かる超アナログな方法を選ぶ気が知れない、といったところか?

昭和人間の僕でも、その感覚は理解できる。そう遠く無い将来、本当にこんな風習は無くなってしまうかも知れない。

それでも、年末の忙しい時間を割いて、今年もせっせと書いた僕。正直「面倒臭いなぁ…」と思ってはいる。でもやめない理由が幾つかある。

年賀状作りはオワコンなのに、僕がそれをやめない理由

没入できる

時間を忘れて没入できる事が多いというのは、すなわち「幸福感」に溢れているということでもある。

さすがの僕も今どき「手書き」は無理なので、必然的にパソコンのお世話になる。

ところが、宛名書きソフトなんて1年に一度しか使わないので、その都度使い方を思い出さないといけない羽目になる。それが、堅くなり始めた頭には結構重荷なのだ。だから、「う〜ん」と長時間思い悩むことを毎年繰り返している。

パソコン操作自体は嫌いではないが、決して得意とは言えない。「う〜ん」が苦痛では無いものの、気付けば事前の予測を大きく上回る時間を費やしているのだ。

しかし、物事は都合よく捉えた方が良い時もある。集中することは最高の脳トレだし、その結果頭のコンディションが整うなら、幸せな人生の基盤を築いたも同然。年末くらい、少し緩めに時間を管理するのも、あながち「無駄」とは言えないだろう。

つながりを意識出来る

金銭的に恵まれることを、幸福と同義だと捉えている方もいらっしゃるだろうが、科学的に「そうではない」と断言できるそうだ。

それ以上に人に幸福感をもたらすのは、「温かい人間関係」であるとする、スタンフォード大の研究結果が公表されている。儀礼的に交流があるだけの相手ならいざ知らず、「大切な人」との繋がりは何ごとにも換えられないのだ。

例えば「たまに会うだけの親戚なんて…」と思っても、実はとても自分のことを気に掛けてくれたりしているものだ。よく思い返してみると分かる。

広くて浅い繋がりがSNS時代のスタンダードだが、意外にも年に一度の年賀状交換がその感覚に近くて、今どきツールのひとつと言えなくもない。

親孝行

親が高齢になると、年賀状を書く作業がままならない。送られてきた年賀状に「今回をもってご挨拶は失礼致します」なんてことが添えられていると、なんだか寂しい。

出来るだけ、うちはそうならないようにしたいと思っている。長年親の役割を負ってきてくれたお礼に、年賀状を代筆するくらいのことは買って出ようではないか。

打算ではあるが、どう見ても息子が代わってパソコンで作った年賀状が届いたら、「アイツもしっかり親孝行してるなぁ」くらいは思ってくれるかも知れない。点数稼ぎにちょうど良い。

家族写真を楽しみにしてくれている人もいる

毎年、必ず家族写真を入れるようにしている。「子どもだけ」の方も多いが、うちは「全員」が基本。

確かに、子供はともかく、還暦前のオッサンとかなりくたびれたおばさんの顔を、正月早々見たくもなかろう。

しかし、大切な人たちに「子供も大きくなりました」と同時に「ちょっと歳を取っちゃいました」という姿を見せるのも悪くはない。時は立ち止まってはくれないけれど、今年もお互い頑張りましょう、というメッセージを伝えるには、これも良いだろう。

当たり前だが、少しでも見栄えの良い写真にしたいので、我が家では年末の「家族写真撮影会」が一大イベントと化している。たった一枚のために、キャーキャー大騒ぎで、皆んな笑顔になれる。

現に「家族写真楽しみにしてるよ」と言ってくれる方も居て、嬉しい限りだ。

まとめ

何事も、そのスピード感に差こそあれ、確実に切り替わってかつ後戻りもしない。

現に、こんな僕でも、もう手書きに戻ることは絶対にない。そして、さらに次の新しい方法を取り入れるだろう。

全てを自作するのではなく、「外注する」あたりが次のステップだろうが、まだしばらくは現状を続ける価値があると思っている。

今年も、有難いことにたくさんの方から年賀状を頂いた。ただ感謝あるのみである。

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森下昌彦(えむもりさん)

大阪在住50代。妻と1女1男。  長く医療業界に携わったが、軸足を移すことを模索・実行中。 詳しいプロフィールはこちら