「もっと自信があれば何でもできるのに…」「失敗したときの事を思うと怖くて前に進めない」
たとえ50を超えたエエ歳のおっちゃんでも、精神的に成熟している訳ではなく、些細な事で二の足を踏む結果になっていることは自覚できる。
「小さなこと」に左右されずに、揺るぎなく確実に進む男でありたいのだが…。
小さなことに左右されない「本当の自信を手に入れる」9つのステップ
そもそも、「自信がある」とはどういった状態だろうか?
想像しやすいのは、仕事で成果が出ていて、立派な家に住んでいて、高級車に乗っていて、多くの有名人と付き合いがある、みたいな条件に当てはまることだろうか。
でも、これらはあくまでも「実績」であって全て相対的な評価の上にある。もっと凄い人が出現したり、評価する人の事情でコロコロ変わったりして、いかんせん不安定である。
そんなことで、落ち込んだり舞い上がったりする中に、「小さなことに左右されない自信」なんか無いことは、すぐ分かる。
謂わば「DOの自信」である。「DOの自信」は不安定で脆い。
これに対して、備えておいた方が良いのは、「BEの自信」とも言うべきもの。
昨今、啓発本の世界では流行りと言っても良いくらいの、「自己肯定感」と同義だろうか。
不安定な〝DO〟に惑わされず、揺るぎない〝BE〟をガッチリ掴む。これで無敵状態に突入!という訳…。
しかし、行動や実績そのものに付いてくる自信ではなく、「あり方」に自信を持つとはどういう意味なのか、本当のところよく分からないのだ。
そこで…
分からないなりに、これなら出来そうだし効果もありそうと感じたものだけ、手始めに取り組んでみることにした。
1. 今はこれでいい
超有名なアドラーだって言っている。「過去は全く関係なく、今の延長上に未来があるのだ」と…。
生い立ちやトラウマのせいで上手くいかないと思っているのなら、それは「出来ない理由」をわざわざ探してきているに過ぎない。今この瞬間から立て直せば良いだけのことで、未来はすべての人の目の前に、全く平等に明るく大きく広がっている。
そのことに注目できている限り、「自分は輝く未来に向かっている」という自覚が持てるので、たとえ現状が物足りないものであったとしても、そのことに卑下する必要はなくなる。
しっかり未来を見据えつつ、「今」に集中している自分を、そこはかとない肯定感を伴って見ることが出来るようになるのだ。
2. 「ありたい自分」をイメージ
成果・実績・肩書きで説明できる自分ではなく、どういった〝心の姿勢〟を持った自分でありたいのか?をよくイメージする。
「誠実でありたい」とか、「いつも笑顔を忘れない」とか、「他者貢献を優先できる人でありたい」など。
状況に惑わされず、いつもそう心掛けられる自分が、誇らしく愛おしく感じられる筈だ。
3. 何に価値を置く自分なのか?
一人ひとり別の価値観を持っているのだから、いろいろ違って当たり前。でも、「変なヤツ」と思われるのでは?という感情は、なかなか無視し辛い。
でも、よく考えてみよう。自分自身の価値や評価が大切なのではなく、自分が価値があると思っている、それそのものの価値は不変である。
だから、そこへふんだんに情熱と時間を費やしたって、微塵も惜しくはないのだ。自己評価の呪縛から離れ、自分が価値を置くものに全力を注ぐ。
最初から期待するのも変だが、集中して物事にぶち当たることで、最も力が発揮できて、とても上手くいくかも知れない。
そうすれば、自分から離れて自分が価値を置くものにシフトすることが、結果的に自分を高めてくれるというループを成す。
人を押し退けてでも「我先に!」という競争心もいいが、その前に、自分の中にあるものをじっくりと探り当てていく作業の先にあるのが「自己肯定感」なのだということを、しっかりと認識しておくことも大切なように思う。
4. 目標は小さく
どれだけ「BEの自信が大切」だと言っても、もちろん「DOの自信」があるに越したことはない。
しかし、「やってみたらやっぱり出来なかった」では元も子もない。どうしよう…。
ここでも、「出来たか出来なかったか?」の成果に注目するのは厳禁。「やってみる」そのものの意義を見つめないといけない。
「やってみたい」に「どうせ無理だ」と蓋を被せることを繰り返すことは、自分の気持ちに正直であろうとする姿勢が、全く欠け落ちている。
自分に正面から向き合えない人に、「自信」もへったくれもないだろう。ダメージを小さくしたいのなら、目標を下げられるだけ下げて、「やってみる」をゴールにすれば良い。
「やってみる」を積み重ねることが、「自信」を生むのだ。
捉え方しだい
著者の水島広子さんは精神科医なので、当然ながら科学的根拠もしっかりしていて、それでいてとても分かりやすいという、とんでもなく有難い本なので、一読をお勧めすることはもちろんである。
僕の場合、まるでカウンセリングを受けているかのように、「スーッ」と気持ちが軽くなっていくような気がして、この何日間かとても調子が良いのだ。
でも、実は、僕は何か特別なことを始めたから好転しているのではないことが分かる。「こう捉えるのはやめて、あんなふうに考えてみよう」としているだけて、現実が目に見えて変動しているわけではない。
幸せのタネは、誰の中にもすでに備わっていて、それを上手く引き出せたり出来なかったりするだけなのかも知れない。
その道具がいろいろある訳だけれど、使うにしたってその下地の自己肯定感がしっかりと備わっていないと、「道具の機能が十分に発揮されませんよ!」って話なのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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