てっきり、子供の世界にだけあるのが「いじめ」だと思っていたら、学校の先生の間にもあるということが明るみに出た。
しかも、その行為の幼稚さと、自律を完全に欠いた集団の暴走ぶりは、蛮行どころの話を大幅に超えていて、確実に深い無力感を漂わせてきて、うすら寒い。
しかし、「考えられない」とばかり言っていないで、考えないといけないのだ。
結局のところ、〝訓練〟がなされていない、というのが僕なりの結論なのだ。
まさか我が子が〝加害者〟になろうとは、思いもしなかった
中1の娘も、学校で大小様々な人間関係のトラブルに巻き込まれているようだ。親から見れば、取るに足りない子ども同士の言い争い程度のものが多い印象なので、僕は基本的に「放置」の姿勢を取っている。
しかし、一方で、それが通用しない時代になっていることも痛感している。
芽が小さいうちから潰しておく、ということだろうか、中には過敏に反応する親御さんもおられる。
人それぞれなので、それ自体は問題ないが、うちの子が〝加害者〟になったという話なら、「放置」という訳にもいかない。
ある同級生が、うちの子の言動によっていたく傷ついたという抗議を受けてしまって、親子で謝りに伺う羽目になった。
もちろん娘によく話を聞いてはみたが、全く悪気なく、結果としてその子を仲間外れのように扱ってしまっていた。
親が言うと説得力に欠けるのを承知してはいるが、そんなに性根の曲がった子ではないし、とても優しい普通の子だと思っている。
そんな子が、「全く悪気なく」問題を起こしてしまうところが問題なのだが、どうしたことか…。
訓練不足は試験勉強せずに試験に臨むようなもの
僕の考察によると、こういうことだ。
コミュニケーションを重ねる訓練がなされていないので、要するに想像力が著しく欠如している。
とにかく未熟で、精神的な発展途上にあるのだから失敗はするだろうし、そこから学びが得られれば喜ばしい、くらいに長い目で見ようとは思っている。
しかし、その過程を経ないで大人になると、かの事件の先生のようになってしまうのだろうか?
子供に限った話ではない。成功のためには人さまの力を借りなければならないのだから、どの瞬間からもコミュニケーションの訓練はした方が良い。
「訓練」なんだから、苦手とかなんとか言っている場合じゃない。数をこなして上達するしかないのだ。
また、数をこなせば確実に上達する、という類のスキルであるとも思っている。「ザイオンス効果」という言葉もあるように、接触回数が増えると仲良くなれる。仲良くなればコミュニケーションが円滑になるのは当然だろう。
人に会おう
「新しい人に会うのと、1人で居るのとどちらが好き?」と聞かれたら、僕は迷わず後者を選ぶ。多くの人が、本音の部分ではそう思っているのではなかろうか。
でも本音ばかり押し通すよりは、明るいコミュニケーション上手を演じた方が、成功者に相応しい人になれる気がするので、残りの半生はその路線で勝負してみようかと思う。
「思う」と言うか、決めた。
力を借りよう
You Tuberとして有名なラファエルさんは、誰とでもあっという間に打ち解ける自信があるそうだ。
それだけではないだろうが、失礼ながら〝変な人〟にしか見えないところが、あれほど華やかに彩られていく理由のひとつであることは、間違いなさそうだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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