中学生の娘に教えられる自分の未熟さ ~大きな器でいるための心得~

毎日顔をあわせる機会が多い子が、必然的に一番仲の良い友達になる。小学生の頃なら、それで問題の無かったことも、中学生ともなるとやや複雑化してきた。

人間関係が単純でなくなっているのもそうだろうが、何より感情の〝層〟みたいなのがあって、それが至って流動的な不安定さゆえ、その時々で何が噴き出すのか分からないような状態である。

当の子供たちも、そんな環境ではストレスもあろうし、学校の先生にしても大変ご苦労なことである。

「頑張れよ~」と、高みの見物と行きたいところだが、年齢が違うだけで大して成熟できていない自分を見返す良い機会にもなっている。

中学生の娘に教えられる自分の未熟さ

「自分にだってこんな時期があった」と思えるだけで、妙に先輩風を吹かせて落ち着いて見ていられるのだ。

思春期特有の危なっかしさは誰もが持ち合わせているだろう。たまには本気で「カチンっ!」と来るが、まあスルー出来る範囲内だ。

「誰々がこんなんで腹たつ!」「誰々にこんなこと言われた~!」全部一緒だ。

僕の答えは大体が「放っておけ」なのだが、よく言えば正義感が強く、悪く言えば融通がきかない性格ゆえ、そう簡単には引き下がれないらしい。

「ああ、そうか。そのうち気にならんようになるよ。」とは、何とも解決には程遠い返答で、娘にすれば〝頼りにならん親父〟そのものなのだが、それがこころの成熟というものなのだ。

自分事だとそうはいかない

と、まあ客観的に娘のことを眺めている分には、これくらいのことは言える。

しかし、50を越えようが幾つになろうが、自分事となると時に冷静ではいられない。

職場での付き合いなら、表面を装いつつも完全スルーで良い、と考えている。でも、妻と言い合いになった時なんかは、そうもいかない。

甘えなのか、オスゆえの支配欲なのかは別にして、なかなか引き下がれないのが現状なのだ。

夫婦生活を何十年も経た末に、今の自分を「まだ青かったな…」と振り返る日が来るだろう。いま僕が、娘をハラハラしながら見ているのと同じように…。

明石海峡の夕陽
夕暮れは「終わり」じゃなく、明日の始まり

どの瞬間からも成長できる

例えば僕が、この歳からゴルフを始めたとしよう。飛躍的に上手くなる事を望むのは酷だろうが、いつまで経っても未経験の時と何ら変化が見られない、ということも考えにくい。

つまり若くないから成長できない、は100%言い訳なのだ。

自分を磨くことが人生の大きな目的のひとつならば、それは最期の一瞬まで全うすべきことの筈。

相手を受け入れ、認められるかが、自分の人としての器の大きさそのものなのである。相手が良いとか悪いとかではなく、常に自分自身の問題なのだ。

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森下昌彦(えむもりさん)

大阪在住50代。妻と1女1男。  長く医療業界に携わったが、軸足を移すことを模索・実行中。 詳しいプロフィールはこちら