今年のGWは、改元に合わせた10連休。もう、僕が生きているうちにはこんな事は無いだろう。
そんな一生に一度のチャンスも、実は普段通りの仕事。千載一遇の機会を逃したようでもあるが、しかし、気分は意外にも晴れている。
世の中が「のんびりムード」に包まれると、そちらから良い空気が自ずと波及してくる。いわば〝ココロの雑音〟が減って集中しやすいことに気付いた。
妻が、一日中子供の面倒を見てくれているという前提があってのことだ、と付け加えるのを忘れないでいよう。
小豆島で20キロ、大阪で7キロ走って充実した1日
GW前半の4/28は、小豆島で目覚めたが早めに大阪へ帰りたかったので、早朝から自転車で一汗かくことに決めた。
5/12の豆イチに向けて、感覚を残すために少しでも距離を稼いでおきたかったからだ。
三都半島をグルッと
三都半島をグルッとほぼ一周したら20キロ程。のんびり休憩を入れつつでも、1時間半もあれば余裕。ただし急坂が多いので、それなりに疲れる。
夕方は大阪でラン
大阪に帰って、疲れを取る意味で軽~く流そうとしたが、なんと!ゆっくりと走れないではないか。どういうことか?
ペダルはゆっくり回せない
自転車で急坂を登る時は、もちろんギアを軽くする。自転車自体のスピードは当然遅くなるが、ペダルが動くスピードはそれなりのペースが維持されている。足の回転をこれ以上ゆっくりにすると、コケるだろう。
つまり、コケずに走ることが出来る、最低限のペダルスピードを下回る訳にはいかないのだ。
それが、意外に速い。長距離走の「スースー、ハッハッー」みたいな呼吸法があると思うが、あれを必死にやりながら、とにかく止まらないように、ひたすら「こぐ」のみ。
リズムが体に刻まれた
すると、そのリズムが体に刻まれる。「歩くよりは少し速い?」くらいのペースで走ろうと思ってスタートしたが、どうもオーバー気味になる。例の「スースー、ハッハッー」が顔を出して、抑えが効かない。
スロージョグなら、深呼吸みたいなゆっくりとした息遣いとか、話しながらでも出来るのが通常で、わざわざ息が上がってしまう程のスピードが勝手に出てしまうなんてのは、初めての体験だった。
おかげで更に疲れてしまったが、体の内から響くリズムが動きを支配しているのだ、という事実にビックリしたのである。
例えばテニスをするのに、普段からトッププレーヤーのラリーの映像を見ておく、とかの方法は、この「リズムを体に刻む」という意味で、すごく効果が有るはずだと、簡単に想像できる。
ちょっと気分を上げたい時に、アップテンポの音楽を聴く、なんていうのも、スポーツではないが理屈は同じだろう。
使わない手はない
なるほど、これは「ここぞ」という時には、多少しんどくても最初から飛ばして、〝リズム〟を体に刻むことさえ出来れば、あとは自動的にものごとが転がっていきやすくなる、ということを示している。
まとめ
「明日しんどいから早く寝よう」の誘惑に負けていたら、この感覚には出会えなかったと思う。
ちょっとだけ負荷をかけるところに、成長の芽があるということだろうか。
ただし、突っ走り過ぎると疲労が蓄積するのもまた事実。体との対話に、常に敏感であることを忘れては、本末転倒になりかねない。
森下昌彦(えむもりさん)
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