「厄払い」とか「〇〇参り」とか、ややかしこまった事になると、とっても大層で面倒くさいなぁ、というのが正直なところ。
でも、日本人なんだし、本当はそんなこと言ってちゃあイカン。もっと毎日のように神様を近くに感じられるようにすべきで、そうすれば心も洗われるだろう。実際に、気持ちが持ち直して少し回復した、という経験は数多い。
だから、フラッと立ち寄ってみた、という気軽さで自身のマインドとも触れ合ってみることをオススメする。
祓ってもらって清めてもらって、さあ幸せ街道一直線なのだ。
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に行ってみた
神社は神様に感謝の気持ちを伝えに行くところ、というのが僕の考え方で、「宝くじが当たりますように」を言いに行くところではない。
メンタルよわーい!
そうは言うものの、「ちょっと助けて欲しいなぁ」って時に、自然と足が向いてしまうのも事実。
なんだかイライラするし、やる気も出ない。これは心を浄化してもらわないと…、って事で、京阪電車に乗った。
三大八幡宮
僕のルーツは小豆島の三都にあって、池田の亀山八幡宮が氏神さま、ということになる。
そこで、同じ八幡さまが近くに無いだろうか?と探してみたわけだが、ドーンと有りました。日本三大八幡宮のひとつ!えっ?凄そう、京都は石清水八幡宮。
京都府八幡市の名は、八幡さんが由来と言うから、豊田市とトヨタみたいな関係で、地域との密着度が半端ないことが伺える。
少しだけ登山気分
京阪本線の石清水八幡宮駅の目の前は、こんもりとした山が迫っていて、その山全体が神社の杜という訳。
標高140mほどと小ぶりな山だが、ケーブルカーもある。それに乗れば山頂の本殿までは、ほんの数分。でも、往きは徒歩で登ることにした。歩いた方が、空気感も山全体のサイズ感も掴みやすい。
山の麓をぐるっと回り込むように、ゆっくり30分弱くらい歩くと、本殿を正面に見ることが出来る。意外にしんどくは無かった。
山とはいえさすがに街中なので、世の中から隔絶されたような非日常感は乏しい。見下ろせば、あたりはぎっしりと住宅街である。でも、神聖な空気に満たされている感じは十分にある。
この地理的な便利さゆえか、時季的なものか(僕がお邪魔したのは、お正月明けの節分前)、随分と賑わっていて、ご祈祷の受付の列が長く伸びていた。
天気も良かったので、立派で美しい建物が青空に映えて、とても清々しい気分になれた。
程よい運動になって、神様とお近づきにもなれて、何だかイライラしていたのも、何処かへ吹っ飛んでしまったことは言うまでもない。
帰りは展望台からの京都の眺望を楽しんだ後で、ケーブルカーに乗車。片道¥200だが、ICOCAは使用不可なので現金のご用意を。
たまには心のリセット
僕は「神社仏閣巡りが好き」なんて人ではないが、通りがかりでフラッと知らない神社に立ち寄ることはある。いつ頃からだろうか?
日本人だし、それこそDNAに刻まれているのかも知れない。
モノも情報も溢れすぎて、なんのことだかさっぱり分からない混沌とした世の中にあって、自分の感情にシンプルに向き合うこの瞬間は、その重要度をどんどん増していく筈だ。
歴史とか参拝の作法とか、難しいことはこの際置いておいても良いだろう。守ってくれて背中を押してくれる存在に、そっと感謝の気持ちを伝える。その心がまず重要なのだと感じている。
ホントにただ「フラっ」と、行ってみれば何か感じることだろう。オススメである。
森下昌彦(えむもりさん)
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