さっさと早めに済ませてしまえばいいものを、なぜか後回しになってしまう大掃除。
気忙しい年末に大きな心理的負担を強いるものだが、何も年末にしないといけない訳ではない。普段からコツコツやっていれば、そもそもその必要性すら怪しくなる。
今年は、シンプルライフを実現して、心が満たされた日々を過ごす。年末どころか、気候がよくなる頃までに「ミニマリスト誕生」の報を大々的に発信したい。
もとい、「気候がよくなる頃」では無く、具体的に「3月末」としよう。「発信したい」ではなく、「発信する」に訂正。
思い出にスペースを割く愚かさ
輝く未来を手にしたいと考えるときに、本来最も排除すべきものは、「過去」だ。
未来は、「今」から始まるのであって、ここまでの道のりは、フィードバックのための要素である以上の価値はない。未来は、「今」と「自分の内側」にしかない。
その意味で、僕の部屋の中の「思い出の品」は、ほぼその役割を終えている。
「懐かしいなぁ~」と見返すうちに、1時間や2時間は過ぎている。これに意味はあるだろうか?
アナログカメラで撮った紙の写真は、さすがに捨てにくいが、それ以降の写真は、データ化すれば物理的スペース〝0〟で収納できる。
CDとかもそう。パソコンに取り込めるならそうして、売ってしまえばいい。音楽マニアじゃないし、何らこだわりはない。MDは、プレーヤーがもう無くて聴くことができない。何年もその状態だが困らなかった。つまり、とっくに必要ないものなのだ。
本当に要るか?と自分に問えば、いかに無駄なものに囲まれているかがよく分かろうというもの。

「今」を未来のために使う
それに、行動もこの目線で吟味することが大切。
人生のビジョンを書き出して、常に目に付くようにしておく。その手前の通過点にも、マイルストーンを置いておくべきだろう。
そうすれば、今この瞬間の行動が、「ビジョン」の実現に関与しているのか否かが、はっきりと自覚できるはずだ。
ただボーっとネットサーフィンやテレビ…、なんて最悪。

まとめ
自分にとって価値があるものは、ビジョンに直結するのもだけ。つまり自己成長を促すものだけ。
自分の行動が変わらない限り、未来は今の延長上にしかない。
あっという間に終焉を迎えて、「あれ?こんな筈では…」は、イヤだ。

森下昌彦(えむもりさん)

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