下の子供が高熱を出して、保育園を休まないといけなくなった。
そんな取り決めがある訳ではないが、何となく「妻が仕事を休む」がこれまでの我が家の習わしである。
ところが、今回は妻が「どうしても休めない」と泣きついてきた。しかし昭和の男は、「子供が寝込んだくらいで仕事休めるかぁ~」的思考から、簡単には抜け出せない。
でも、時代は昭和でも平成でもなく、「令和」を迎えようとしている。新しい一歩を踏み出すべき時だ。
自由を得るために、まずは稼がなきゃ始まらない
そりゃ、もちろん僕だって少しは「おかしいぞ…?」くらいは感じている。圧倒的に僕の方が稼いでいるならまだしも、悲しいかなそうでもない。それなら尚更、妻ばかりが一方的に休む理由はない。
そして、何よりもよく頭に刻んでおかないといけないことがある。「自分が休んだら職場が回らない」は幻想である、ということ。自分が、それほどまでに特殊な技能を持つ人間かどうかくらいは、しっかりと自覚できている。
自分の名前と顔で商売ができている人以外の、大部分の一般大衆のする仕事くらい、今すぐにでも誰かが取って代われる。そんなモンだ。
でも、変なプライドのせいか、「俺がやっているんだ!」という気持ちそのものがモチベーションとなっているのか、なかなか素直には認めたくない。
また、雇う側にもそれを「利用」するようなところがあって、「頼りにしてるよ」的ニュアンスを匂わせる。
表向きそんなことを言っても、裏でスペアの人材を確保しているなら、まだマシだ。ホントにギリギリの状況を放置しながら、一個人の〝ガンバリ〟におんぶに抱っこでは、それは「縛っている」に過ぎない。
その時点で、超ブラックではないにしてもそこそこ黒い、と言える。
個人に課金してもらえるか?
どんなに言っても、いつまでも「雇われる側」では先が知れている。あれこれ言ったって、「ごちゃごちゃ言うな!」で済まされる。
バカにしてるわけではなく、法の上の平等は保証されるにしても、立場が違えば目線も変わって当然、という話。
それならどうしようか?
「誰にも真似できない、世界で唯一の人になる」とぶちあげるのも良いが、あまりにハードルが高いと怯んでしまう。だから、ほんの少しでも良い、僕個人に課金してもらえるかどうか?を指標にしたい。
営業の世界ではよくあるように聞くが、「この人なら信用出来そうだから買おう」ということ。同じものを売っても、たくさん売れる人と少しも売れない人がいる。売り込みのテクニックだけじゃなく、信用をどれだけ積み重ねるかが、ひいては人生の豊かさとなって返ってくるのだ。
親は子供にとっての未来
子供が風邪を引いたなら、誰に遠慮する必要があろうか、そばに付いてあげるのが親の責任のはずだ。
自分の人生を自分の手に取り戻して、自分でコントロールすればいいだけのこと。他人の人生を生きてしまっている代償を、子供に押し付けてはいけない。
まずは少しだけでも良い。雇われること、つまり拘束されることで得る報酬ではなく、僕個人の信用で得る報酬を増やしていかないといけないのだ。
未来の大きな可能性を子供に指し示す為にも、親の僕が背中を見せないといけないのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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