人口減少時代に入って、ほとんどの地方都市は、経済的にスケールダウンしていくのが必然だ。
我が小豆島は「都市」ではないので、もっと深刻な事態に直面していると言える。どっちを見ても限界集落だらけ。はっきり言って「瀕死」に近い。
瀕死とはいえ、僕のふるさとだ。贔屓目であることを差し引いても、魅力に溢れていると思う。
だから、僕も一役買いたいし、そうしなくてはならないのだ。
近未来の小豆島で自分が果たして行きたい役割を考えてみた
人がまったく集まらない、という訳でもない。
それでも、瀬戸芸の期間中なんて、人波が「溢れそう」ってくらいだし、夏の海水浴客の賑わいも相変わらず。また、近年はロードバイクの多さが目を引く。捨てたもんでもなさそう?
しかし、昔ながらの既存の観光資源にのみ頼る、単なる〝観光業〟で終わっていては、その継続性はおぼつかないだろう。
「景色を見ました」「美味しいものを食べました」だけなら、何処へ行っても大差ない。と言うか、強敵が多すぎる。
それなら、「モノ消費でなくコト消費」と言われている通り、小豆島の文化・暮らしに触れる、より深い経験を伴う〝アクティビティ〟が必須で、それを統轄する総合的な観光事業としての仕組みがある方が良い。
結局のところ「人に会いたい」のだ
そこでカギとなるのは、「人」だと僕は思っている。
「モノは用意しました。楽しんで下さい。」というスタンスで受け入れるだけではダメで、受け入れる側にも「一緒に楽しみます!」という姿勢が必要だと思っている訳だが、どうだろう?
今どき、「都会の人がお金を落としに来てくれた」なんて感覚では論外だし、活気がある街というのは、詰まるところ元気な人が多い街に他ならない。
元気な人のところに元気な人が集まるのは、全くもって必然である。年寄りだらけの過疎の島でも、「やたら元気で明るい人が多い」ということになれば、それはイコール「元気で明るい人が集まってくる島」ということになるので、自然に活気が溢れるだろう。
僕は、仕事でお年寄りと関わることが多いが、特に日本の都会に暮らす年配者は、たぶん世界一ネガティブな人種ではないかと感じている。
「社会的インフラが整いすぎると人は怠惰になる」が僕の持論だが、その点で、田舎のお年寄りの方がずっと有利で、生命感が外に向いて発露されやすい。
もちろんお年寄りだけでなく、若い人たちも含めて「元気」を発信するツールとなり、かつ自身の得意分野と重なるという条件を考える時、どうしても僕は「テニス」、「自転車」、「海」に関わる人でありたいのだ。
テニス
ただの「テニス愛好家」であるがゆえ、プレーヤーとしての実績などある筈もない僕でも、「テニスは楽しい」、「一緒にやろうよ」というPRは出来るに違いない。
何を血迷ったか、テニスのコーチの資格に挑戦しようとしている僕だが、「小豆島のテニスおじさん」として認知してもらえることを、当面の目標とする事に決めた。
ラケットスポーツは、健康に好影響を及ぼす運動として認知されているらしくて、老若男女の隔たりを簡単に越えていける点でも、地域の絆を育みやすい。いい事しかないじゃないか!
ロードバイク
そして自転車についてであるが、「サイクルツーリズム」という言葉がある通り、ただ自転車で走るだけにとどまらず、地域の観光資源とリンクした、その他のカテゴリーとの融合に大きく踏み出すことが予測される。
自転車乗りには垂涎モノの、景色が良くて走りやすくて適度なアップダウンのある道路と、海の幸をメインにふんだんにある美味しいもの、それに関わる温かい人たち…。
僕は自転車そのものについての知識を圧倒的なものにして、島を楽しむサイクリストのサポーターとして、技術的な面から、また精神的な面からも〝小豆島の自転車盛り上げ隊〟を先導、発展させていきたい。
海
さらに、あとひとつ。もちろん海である。
荒々しい海で育った方には、頼りなく感じてしまうかも知れない穏やかな海が広がる瀬戸内海だが、この多島美にノスタルジーを覚える心が日本人に宿ってはいないだろうか?
その意味で、海に触れる機会を得ることは、自らの心の奥深くへ戻る行為である。ある種の信仰にも似た崇高な想いに、穏やかに気持ちが潤ってくるのを感じることが出来るだろう。
小豆島でも自然の浜が減っているように思うが、僕はシーカヤックを通じて、人々と海との接点を増やすことに挑戦してみたい。静かに海の懐に抱かれる快感を大いに発信することで、小豆島が「アクティブアイランド」に大変身を遂げることに、微塵たりとも疑いを持ってはいない。
自分の想いと小豆島の未来
自分の想い、つまり自分がやりたい事と、小豆島の未来、つまり地域が求めることに乖離があってはならないと思うし、そもそもそんな状態では全く成り立たない。
稲盛和夫さんばりのことを言ってしまうが、自分の儲けではなく、常に「利他」が第一義であるかどうかを、心に問う必要があるのだ。
僕は今、この部分をよく考え抜いて、頭の中を大きく膨らませることに、時間を割いてる。
動いて発信することで、賛同して応援してくれる人が必ず出てくる、と信じている。そして、大きなムーブメントとなることを夢見ている。
最初に戻るが、観光客を喜ばせよう、というだけの話ではなく、「小豆島は元気やなぁ」の言葉が溢れている状態を目指す。そこにいる人が、みんなアクティブで笑顔に溢れている。こじんまりとした田舎、このサイズだから出来ることもあるはずなのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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