親身になっての助言。ホントに有難い。
けれど、最終的に決断するのはもちろん自分。そして、助言をいただく前に、実はすでに決断しているのでは?というお話。
言葉の力は計り知れないので、助言そのものが無意味だと言っている訳ではない。
夜中の救急病院はホントに有難いが…
下の子(3歳)が風邪をこじらせたようで、夜中にひどく咳き込んで「やばいかも…」という日があった。
上の子はスヤスヤ寝ていたので仕方ない。そのままにして、妻と救急病院へ連れて行くことにした。
入院の可能性もチラついたが、結果的には大事に至らずに済んで良かった。しかし、その後しばらく調子が悪いことに変わりなかったのである。
全快するまでは、薬のお世話から逃れられないことが予想できた。
僕ももちろんそうだが、特に妻的にはそのへんが、とても不愉快で居心地が悪かった。
救急病院が、即効性を重視して薬を使うのは当然であろう。とりあえずその場を収めるのが役目である。
しかし、長期にわたって、副作用の心配が完全には排除しきれない薬を、しかも幼少児に投与することには、私たち夫婦は、強い違和感どころか、恐怖すら覚えてしまう類の人間である。
妻は、過去にアトピー性皮膚炎や喘息がひどい時期があって、それらを劇的に封じ込んでしまうステロイド薬の効果の凄さを知っている。
しかし、また同時に、そのリバウンドがあまりに激しいので、結果として薬漬け状態に入り込みやすいこと、そして、その副作用が、糖尿病や高血圧など、下手をすると、一生の暮らしの質をも左右しかねないものにまで及ぶことも、よく知っている。
選択肢がなくなることもある
よく「セカンドオピニオン」とかいうけれども、同じような教育を受けて、同じガイドラインに沿って治療する医者が、全く違った意見を述べるとは考えにくい。
だから、「ちょっと違和感あるんだけどなぁ…」と思って、別の病院へ出向いても、言われることは大抵同じなのである。
時には、「うちのやり方が気に入らんのなら、来なくていい」くらいの言葉が飛んでくることもある。
そんなこんなで、その間特に妻は悶々としてイライラして、機嫌がすこぶる悪い状態が続いたので、やはりここは、いつも診ていただいて信頼を置いている先生の元へ行ってみることにした。
その場所が少し遠いということもあって、時間を絞り出せないでいたが、そんなことは言っていられなくなっていた。
拍子抜け…そんなんでいいの?
結果だけ先に述べておこう。
「脱ステロイド」を掲げて目覚しい成果を上げておられるその先生のおっしゃるには、
「血中酸素濃度などのデータは、決して驚くほど危険なレベルではない」
「気管支拡張剤の吸入だけで充分」
だけ。
そう、それだけである。
おかげで、入院の可能性と隣り合わせだったのに、次の日からはしばらく休んでいた保育園に復帰し、たくさん貰ってきていた薬は、ほぼ全て飲むのをやめてしまった。
すこぶる元気そうに見えはするものの、相変わらず咳は残っていたし、客観的状況には何の変化もなかったのに、である。
しかし、その後事態はなんら暗転することもなく、肩の荷が下りた妻の機嫌も持ち直し、波及して僕の精神的平穏という意味でも、これがベスト選択となった。
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ブレない覚悟
人が動くとき、前へ進むとき、決断するとき。色々な助言が欲しくなることがある。
けれど、「何も自分の意見を持たずに、その助言にただ従うだけ」というようなことは有り得なくないか?
どんなに立派なメンターの言葉でも、自分の感覚にしっくりと来なければ、なかなか腑に落ちることはない。その状態では、実行するにもエネルギー不足が甚だしい。
つまり、「助言が欲しい」と思った時点で、すでに自分の意見は固まりつつあるのである。その固まりつつある意見に沿った「後押し」が欲しいのであって、純粋な意味での「提案」を求めているわけではないことに気付く。
光が射す方へ進むだけ
背中を押して欲しいのだ。
できないのは「知識」が足りない、あるいは「助言」が足りない、のではない。
「うん、うん」と自分を肯定してくれて、背中を「グッ」と押してくれる言葉。ただそれだけ。
いつも自問自答して、考え尽くしたことにもっと自信を持つべきだ。そしてそれを「後押し」してくれる輝く言葉を拾い集めよう。
自己肯定感が高まる、明るく過ごせる、自信がつく。
言葉の持つ底力を、軽んじてはならない。それだけで「ドカーン」と突き抜けることができるのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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