何となく気分が乗らない。少し、イライラしている。「ムシャクシャ」という程でもないが、軽い「怒り」感情も含んでいる。そう感じることが、時々ある。
さてどうしようか?家族と接するとマイナス感情を増幅してしまう。望むところではない。
それなら、一人になって、環境を「非日常」方向へ振ってみよう。僕は、そういう選択をすることが多いと感じる。
多分に、「癖」の要素を含んでいる
そんな思考回路を備えた人間らしい、と自覚できる。要するに、「癖」だ。
でも本当だろうか?
自分の感情に素直になることが一番大切だ。間違いない。しかし、「自分の感情」を正確に認識できているかどうかを、しっかり考察しないと、そもそも前提がひっくり返ってしまう。
そんな風に感じるようになったのは、その環境を変えるという僕の癖が、「時間の無駄じゃないだろうか?」という思いが強くなってきたからだ。
「ムシャクシャ状態」から、積極的に脱しようとしなくても、はっきり言ってしまえば、時間が解決してくれるのは分かっている。放っておけばいいのだ。そのうち治る。
しかし、それでは芸がないので、少しでも早くどうにかなるものなら…、と考えるわけだ。
休養って必要ある?
フィジカルなトレーニングにおいても、疲れを取るために、ただ単に何もせずに休む方法と、「積極的休養」と言って、回復を促すために、敢えて軽めの運動を行う方法がある。
両者の効果に、はっきりとした差がないのなら、何もしない方が楽だ。それどころか、その間、本を読むなりすれば、効率は倍増である。
奈良へ行った
自宅からだと、1時間も掛からない。落ち着いていて、良い町だと思う。 心が洗われる気分だ。「歴史を感じる」のは、やはり自分の存在を見つめ直すことにつながる。結果として「癒された感」が高まる。
でも、「何もしない」のと比べて、明らかに効果的か?と問われれば、どうとも言い切れない。「気分転換にはなったけど…」という程度、というのが正直なところだ。
「癒される」は、何かしてもらうのとは違う
そこで思う。
自ら新しい価値を生み出す、ことにこそ、真の癒しがあるのではないか。「自己実現」というやつだ。
魂を揺さぶられる経験も、受動的であれば、それはただのキッカケに過ぎず、まだ何も生み出せてはいない段階だ。
要するに、何よりも行動を起こすことに全精力を注ぎ込むことが、あらゆる可能性を引き伸ばす出発点なのだ。
やがて嫌なことも消し去ってくれる、「時間の効果」を享受するだけでは、元の立ち位置に戻ることを繰り返すだけである。
フォーカスすべきは「成長」
自分に変化を起こすこと。少しでも良いので、昨日までの自分とは違うのが、実感できること。それこそが、「成長」なのは言うまでもない。
結果がどうあれ、動くこと。人間に備わる、「変化を好まない本能」を打ち破ることが、「成長の本能」を劇的に満たしてくれる唯一の方法であるという、ある意味「究極の矛盾」に、挑戦し続けるのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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