小室哲哉が音楽を作ったなら、そりゃ影響を受ける方もたくさん居るだろう。しかし、ことが「不倫」となれば、誰にも何の関係もない。
ところが、そんな時こそ俄然勇ましく、批評家のごとく突つき回る人が居るのも事実だ。
もちろん、不倫なんて褒められたもんじゃない。反省だってすべきだろう。でも、それを暴く側の人間は、晒し、祀り上げる行為が、正義感の上に成り立っている、とでも思っているのだろうか?自分なら、恥ずかしくて人には言えない。
どうしたんだろうか?日本人
しかし、もっと厄介で、しかも繁殖しやすいという意味で手に負えないのが、それを見て、「あーだ、こーだ」と言っているだけの人だ。
つまり、何もせずに批判だけしている人だ。そして、全然考えなくてもわかる通り、大半の人は一番最後の分類に属する。
動く人と動かない人
世の中、発信する人と、受信する人に大別される。大部分がただの受け手である。言うまでもなく、一番尊いのは、動ける人である。つまり発信する人なのだ。
発信することで誰かに対して影響力を持つことができる。
「発信」なんて大げさだが、「親の背中を見て、子が育つ」的なものでも、充分「発信」だ。誰かが、きっとその動きを凝視している。その意識が希薄になって、いい加減になった時、何かが崩れ始めるのだろう。
「ちょっと変じゃない?」と感じ始めた人
テレビの総視聴率というのがあって、それを見ると、依然「テレビ離れ」が進行中なのは、誰の目にも明らかだ。
これは、どういう意味を持つのだろうか?
選択肢が増えたからという見方もあるものの、「テレビが面白くない」と感じている層が、確実に増えている。
つまり、いつまでも、「単なる受け手」に甘んじている場合じゃない、と感じている人の、テレビからの流出が止まらないのだ。
軌道修正は自分自身で
断言してもよい。テレビは暇で仕方ない人が見るものだ。だから、当然、ますますその人たち向けに作られ、偏向していく。
そんな場所から避難しようと企てる人がいることは、とても明るい希望が持てる現象なのだ。
小室哲哉の話題で盛り上がる人ばかりを見ていると、心配になるし、閉口するし、こちらの頭まで掻き回される気分になるが、そうじゃない。賢明で、行動力を持った人が多数存在することに気付けるはずだ。
イノベーターの周りにイノベーターが集まるし、意識低い系の周りに意識低い系が集まるのだ。別に差別しているわけではない。自分がなりたい人の周りに、寄って行けば良いだけだ。
思うことがあるなら、物怖じしないで、どんどん首を突っ込んで行った方が良い。きっと、将来は明るいのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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