年が明けると、入試そして卒業シーズンである。
遠い昔を振り返ると、僕の場合卒業と言えば、中学でも高校でもなく、最も印象的なのが小学校なのだということに気付く。
その後、思春期特有なのだろうか、どこか陰鬱な時期に突入することになる僕にとっては、この頃はまだ自分を惜しみなく吐き出せたのかも知れない。
外連味がないと言うか、素の自分に近かったので、極端にストレスが少なかったとも言える。
卒業記念旅行
その頃、別にそんなことしなくても良いのだが、一生に一度の卒業に絡めて、何かイベントを仕掛けたい気分になった。
そこで、「友達同士で、自転車で小豆島へ行く」というのをぶちあげた。
当時住んでいたのは、泉州は岸和田市。
大阪の弁天埠頭から、朝の8時台だったと記憶するが、小豆島行きのフェリーが出ていた。
それに乗って、小豆島の祖父の家で2~3泊させてもらう計画である。
岸和田から大阪まで、30キロほど。朝8時に間に合わせようとすると、出発は夜明け前だ。暗い上に寒い。
道は分かっていたが、父が運転する車でしか行ったことが無いので、勝手はかなり違っただろう。試走なんかしようという気も無かった。
今どきのロードバイクや電動アシストなんて有る筈がない。40年以上も前である。
〝集団夜逃げ〟みたいな形相の一行になるだろうことは、簡単に想像できた。
当然、あちこちの親御さんから猛反対にあった。「無謀すぎる!」と…。
最終的には担任の先生の耳に入り、怒られた。「アホなこと考えるな!」という訳である。
そんな具合に、計画は敢え無くポシャった。
抑えつけるだけではなぁ…
今は、自分が親の立場になったが、同じことを我が子が言い出したら、もちろん反対する。
そして、何が足りないのかを、子供に説くかもしれない。
計画の甘さ、慎重さ、準備不足、プレゼン力の弱さ、信用のなさ、人を巻き込む力のなさ、リーダーシップの欠如等、全て自分が経験上知ったことなので、よく分かる。
でも、それだけだと、上から目線の〝お灸〟に過ぎない。だから、うちの親たちと決定的に違う一言も、しっかりと付け加えてやりたいのだ。たった一言だが、この方が大切だと思うから。
「面白いことやろうとしたんやなぁ」の一言…。
評価基準は〝どれだけオモロイか〟
僕は、変なことしようとしたら怒られるんやなぁ、という経験は積めたが、誰も「オモロイやん!」とは言ってくれなかった(あるいはその声が小さくて僕の記憶には残っていない)ので、もうちょっとで出来たのに!という思いを得ないまま、封じ込められた格好となった。
今思うと、ここが一番残念なところだ。
せっかく行動に出たのだから、「ダメだった」だけではもったいない。「もうちょっとやったなぁ…」や「こうしたら出来たかも…」のポジティブな感情で終わっておけば、次へのエネルギーを蓄えることができるので、捉えようによっては、決して失敗ではなくなってしまう。
行動には自分が滲み出ているはず
それにあと、もうひとつ。
僕は「みんなで一緒に楽しもうよ!」という気持ちになれることに、率先して首を突っ込みたくなる性質を、胸の奥にしまい込んでいるということに確信を持てている。
スキー場でバイトしていたところに、都会から友達がやってきて、彼らをガイドして回った時。
職場のみんなで海水浴に行く時に、幹事役をかって出た時。
それから、自分の結婚式で新郎の立場を飛び越えて司会のごとき喋り捲った時。
どれも大変だったけれど、メチャメチャ面白かった。
自分でも、そんなキャラだとは思っていないが、要は「お祭り男」的要素が強い。
原点を見つめる
そんなこんなを踏まえて、今感じること。
ここに、自分のあるべき姿のヒントが隠されていると思うのだけれど、どうだろう?
「これ楽しいよ。一緒にやろうよ。」を、みんなに投げかけることが、僕の魂の望む道なんじゃないだろうか?
小豆島の海だったり山だったり、それからもちろん、テニスや自転車。
これ楽しいよね。みんなで一緒にやってみようよ。
みんなでそんな感情を共有して、自分ももちろん嬉しいし、あたりがみんな心から元気付き、癒される。
そういうのが、「幸せやなぁ」って状態で、目指すべき理想なのではないかと、今の自分は強く思っているのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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