中学生になって、様々な新しい環境に面している娘。それなりにストレスを感じることもあるらしい。
中でも、大人になっても必ずぶつかるのが、人間関係。
思春期の入り口に立ったばかりの子供には、受け入れられないこともあるとは思うが、それを乗り越えるのも成長の過程。
手助けになるだろうことを期待して、僕なりの考え方を娘に伝えてみた。
中学生の娘が人間関係に悩み始めた
「いじめられた」なんて深刻な事態でもなんでもない。でも、「部活の先輩にキツく言われた」くらいは、たまにはあるだろう。
放っておきゃ良いんだ
中学生に言っても良いかどうか、本当のところ僕も分からないが、世の中には「合わない人」が絶対に居る。
まだ出会って日が浅いその先輩と、合わないことが確定した訳ではないが、公私ともに仲良くなることを強制されたのでもない。人の意見に真摯に耳を傾けることは必要だが、全てを受け入れるところまで求められているのではないのだ。
つまり、自分をしっかりと持って、その上で聞き流す選択もありだということ。「自分をしっかりと持って」というところが、如何せん中学1年生ではおぼつかないが、親の贔屓目であることを差し引いても、とんでもなく社会性が欠落しているとも思えないので大丈夫。要するに、放っておきゃ良いんだ。
嫌い!とは違う
でも、嫌いになってしまえ!ってこととは、もちろん違う。
世の中の全ての人から全否定されるような、極端な人はいない。つまり、誰でもなんらかの尊敬すべきポイントを持っていて、その点は最大限にリスペクトする必要がある。
認めるべきところは認める。その上で、受け流す。
受け入れたり、受け流したり…。ドーンと受け止めたり、暖簾になったり…。そのへんの乗り切り方の巧拙が、人生の豊かさをかなり左右する気がする。
まあ、いいかっ
要するに、「まあいいかっ」って感じになれたら最高なのだ。
自分で言うのもなんだが、正義感というか善悪の基準だけを前面に押し出して生きると、結構つらい。はっきり白黒つけたい呪縛から、少しだけ距離を置いた方がラクだ。
第一、「基準」なんか人それぞれバラバラだ。
寄り添う
親がこんなだから、子もこんな風になる。今だから僕にもそれはよく分かる。変えようにも、なかなか簡単ではないことも分かる。
つくづく思うのだ。人生は常に勉強なのだと…。
親といえども、やはり懸命に生きているのだということを、背中をもって示すことが、今僕がすべき大きな仕事のひとつだ。「寄り添う」とは、こういうことを言うんだと思う。
森下昌彦(えむもりさん)
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