「ファン」と「マニア」はどちらも「愛好家」といった意味だが、「マニア」の方には「狂気的」といったニュアンスが強く含まれていて、より深みにハマった感がある。
僕は言うまでもなく、「マニア」を目指している。
どうせやるからには、人生がひっくり返る程のめり込んでナンボ、だと思うからだ。
ファンとマニアの間の壁
ネット社会には情報が溢れ返っているが故、個々の情報の価値はむしろ下がった、と言える。
つまり、誰もが何でも簡単に知り得るので、「〇〇のファンです」程度では、全く差別化にならない。そんな人はゴマンといるのだ。
すると必然的に、よりトンガった人でないと出番がない、ということになる。
ゼネラリスト(何でも出来る=頭良い=重宝する)の時代から、スペシャリスト(特定のことしか出来ない=変なヤツ=使いづらい)の時代への変換とも言えないか?
つまり、勝負どころは「あり得ないくらいやってる」という点にある。
例えば…
ランニングブームと言われて久しいが、だからと言って毎日20キロ走っている人は多くはないだろう。
多けりゃイイという問題ではないものの、月間100キロしか走らない人に、月間500キロ走る人の景色は絶対に見えない。
「あり得ないくらいやっている」はそれだけで価値があるのだ。積み重ねだからある意味簡単にブランド力アップになりそうだ。
1次情報だとなお良し
「誰かが言っていた」「テレビでやっていた」よりも、圧倒的確度と説得力を持つものは何だろう?
それは勿論、「私がやったらこうだった」という、生の声だ。「また聞き」では無く、情報源そのものに〝嘘偽り〟が入り込む余地は無い。
まとめ
半世紀以上の人生を振り返って、「あの頃のめり込んでたよなぁ…」と思えることが、残念ではあるが、僕の場合極端に少ないことが分かる。
人がやりそうも無いことに深くのめり込むことは、ただそれだけで逆風の対象になり得るのだが、それを「反対された」と捉えるうちは、ややもすると尻込みする方向へ気持ちが傾きがちだ。
そんなこと言っている場合でも無い。「覚悟」とか、そんな大袈裟なことを引っ張り出してくる前に、動き出さないことには、ただ「タイムアップ」が確実に近づくだけじゃ無いか!
森下昌彦(えむもりさん)
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