「今までこうだったから、これからもこうだ!」が、一番危険であることは分かっていたはずだ。
しかし、変化なく今の状況が続くことが「一番楽だ」と感じるのも、人間の本能。
天地がひっくり返るような大変革は前触れなく訪れることがある、はホントだった。さすがに、もう身に染みた。
コロナ禍で最優先は〝こだわりを捨てる〟
特に飲食関係のダメージは甚大である。もう、少なくとも数年は持ち直せないという悲観論も、現実味がある。
厳しいが、この期に及んで「早く何とかならんかなぁ…」と、悲しげな目で眺めたところで、一歩たりとも前進できない。
先人
去年の春の〝第一波〟の際、大阪・北新地では早々に店を畳んでしまう経営者が続出したらしい。
その時点で、もうこれまでのビジネスモデルが通用しなくなる、と感じた人は〝泥舟〟を降りたという訳。
僕は、ここで強く言い切れる知識も何もないが、先が読める人は、北新地から撤退する人で、同じ環境での復活を期する人は、衰退するのかも知れない。それくらい柔軟でないと、今後も別のどんな形の大波が押し寄せてくるか分からないのだ。
夢を練り直す
漠然とではあるが、僕は「小豆島で民泊をやりたい」という思いを持っている。
田舎の代々の家が空き家になって久しい。集落に活気を取り戻すための一助に、観光の一翼を担う意味でも活用したいのだ。
しかし、ここへ来てのコロナ禍である。このまま突っ走るのも、坐して待つのも、どちらもあまりに無策と言わざるを得ない。
だからどうするの?
完全に諦めるのではなく、僕の夢は一旦封印する。
だが、日常を離れて、現地の空気を味わい食を楽しみ人と触れ合う、という観光の根幹、いわば醍醐味を「リモートで…」なんて想像は、少なくとも今は出来ない。
しかし、冒頭でも書いたように、常識なんてものはほぼ実態もなく、脆く頼りないのだ。
常識がこだわりを生み、足かせとならぬよう、常に俯瞰して新しいフィールドを探す姿勢と、ほんの小さな毎日のチャレンジが大切だろう。
まとめ
このゴタゴタで、1年以上小豆島に帰っていない。こんなことは一度も無かった。
この喪失感・虚脱感は、郷愁深い日本人には理解しやすいのではないだろうか?共感していただけると思う。
この心を満たせるやり方が、どこかにあると信じている。こんな世の中だからこそチャンスも有るはずなのだ。
今一度原点に立ち返り、小豆島に興味がある人、小豆島を愛する人にどんな価値を届けることができるだろうか?それはどんな方法で叶うのだろうか?考えあぐねる日々なのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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