ロードバイクが好きなら、メンテナンスの知識はそれなりにあった方が良い。
知識があるから更に楽しくなって、ますます好きになるというループへ、突入間違いなしなのだ。
それなら専門的に勉強した方が良いのかも?と思い付いたまでは良かったが…。
情報爆発の時代に知識の価値が激変している
「しまなみ海道」や琵琶湖一周の「ビワイチ」は、あまりロードバイクに興味がない人でも、耳にしたことがあるだろう。
僕にとってはそれ以上に、もちろん「マメイチ」の小豆島が聖地なのだ。
わざわざ船で小豆島に乗り入れてくれたライダーを、僕なりのおもてなしで迎えることは出来ないだろうか?と考えた末が、アテンドとバイクメンテナンスを掛け合わせたものなのだが、いくつもハードルがある。
その一つが、「僕はメンテに詳しくありません」ってこと。要するに話になってない!
バイトに応募
手っ取り早く技術を身に付けようとするなら、「その場に飛び込むのが一番!」とばかりに、大阪の有名どころのバイク屋さん数件に、アルバイトの応募をしてみた。
しかし、結論から言うと、相手にされなかった。
面接してもらって、結果的に不採用になったのなら仕方ないが、エントリーしてもことごとく「音沙汰なし」なのだ。思うに、年齢が大きく影響している。「おっさんが応募してきたで。放っとけ!」って気持ちは分かる。
表向き、「書類選考の上、不採用です」ということなんだろうが、返事くらいするのが常識じゃない?って言ったところで、所詮負け犬の遠吠えだ。
ろくに就職活動もせずに、そのままフリーターになってしまった僕には、そういう世間のシビアな部分を直接肌で感じた経験が乏しい。そういうことだろう。
知識自体の価値
自転車屋さんでメンテナンスの実務経験があると、「自転車安全整備士」や「自転車技士」の受験資格を得ることができる。
働いて受験できて資格も取れたら「箔が付く」というものだ。
でも、ここで考え直した。
例えば、医者でもないのに「人間の身体に詳しい」からといって、注射でもしようものなら即刻逮捕される。自動車の整備士資格もないのに、「検査通りました〜!」とばかりに車検ステッカー(検査標章)を貼るのも、もちろんNG。
しかし、自転車の場合はそんな国家資格もないし、基本的には「自己責任」の範疇。だからといって「野放し」という訳にもいかないので、民間団体が独自のルールで設けたのが、前述の「自転車安全整備士」や「自転車技士」というやつである。
まあ、つまるところ「有ってもいいが無くても全然困らない」ということ。
何度アプローチしても受け入れてもらえないのなら、こっちだって執着する必要もなかろう。
しかも、今や時代は情報爆発とも言うべき様相を呈している。
せいぜい本くらいしか無かった情報源は、今や「検索」の先に無数にある。
現に、そんなに詳しくない僕でも、直接誰かに教わった訳ではないのに、タイヤ交換やブレーキの調整などの基本的な整備は出来る。
未だに、師匠から手取り足取り、口移しで技術を伝授してもらうしか方法がないような業界があるなら、それはもはや骨董品級のレア度に違いない。
骨董品としての価値が有ればいいが、ただ古いだけなら消滅間近ということに他ならない。
テストで高得点、だけでは…
インターネットがもたらした変化のひとつが、情報の価値の激変であることに異論はあるまい。
誰でも簡単にアクセスできるところに、一生かけても知り得なかった程の情報が転がっている事態は、つまり「知っているだけなら無意味」ということでもある。
得た情報を、どう活用して幸せに繋げるのか?に対して、明確な答えを胸に抱えておくことが、最強人生への切符を獲得するのに欠かせない。
正解はないのである。答えは自分で作り出さないといけない、そんな時代なのだ。
まとめ
今の僕の現時点での答えは、ロードバイクのメンテナンスは「YouTube +本から入ればOK!」である。
自分と周りの人が、ロードバイクを通じて幸せを共有出来ること。着地点は定まっているので、それでいい。
森下昌彦(えむもりさん)
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