新年度になって僕は小豆島に移住するつもりでいた。けれど、小豆島町地域おこし協力隊の選考に落ちたので、当然ながら計画は振り出しに戻った。
「地域おこし協力隊」って知ってますか?
ざっくり言うと、「田舎はどこも人口減少と高齢化に苦しんでいるし、この先はもっとひどくなるのが目に見えている。ならば外から若い人材を受け入れ、地域との協力活動に従事してもらおう。そんな中で定住に気持ちが傾くことになるならば、地域の力の維持・強化にもつながるよなぁ…」ってことだと思う。
殊に優秀な方ならば、地元で起業するなんてこともあるだろうし、もしそうなれば税収も得られて雇用も生まれる。ちょっと言い方が不味いかも知れないが、そうなれば十分に元が取れる話だ。
田舎暮らしのきっかけが欲しい側にとっても、いきなり高いハードルが待ち構えていると引いてしまうが、役所の名前を借りながら地元と接点を増やしていける点で有難いだろう。
よく言う「Win-Win」ってヤツだ。
「小豆島町地域おこし協力隊」の選考に落ちた
僕の場合は、島に縁もゆかりもいっぱいあるし、移住も真剣に考えているので、背中を押してもらえる制度としては申し分ない。
でも、残念ながら選考に漏れてしまった。
「縁」とか「恩」では住めない
小豆島がルーツである僕の身内でも、島に骨を埋めても良いと考えているのは、僕の世代が最後だと思う。その最後の世代も、実際にそのように行動する人数となると、全く心許ない。もちろんずっと住み続けている人はその限りではないが、一旦島外へ出た人のUターンは圧倒的に少ないというイメージで、これからも更に先細りになっていくことは目に見えている。
だからと言って、「僕も大勢に流されましょう」とはなりにくい。親の世代は、今でもたくさんの横のつながりを持っているし、僕はそれを見て育ってきた。
みんな島が好きなのだ。「そんな時代です」と言って若手の僕が、今も残る家を畳めるだろうか?
それでも、僕がその締め括りの作業をしなければいけない時が、やがて来る。僕が移住して残りの半生を過ごそうと決めたところで、うちの子供がそれを引き継いでくれる可能性は限りなくゼロなので、いずれにしてもそこで終わりだ。
多くの日本人が持つ「郷愁」は、それこそ民族のアイデンティティじゃないかと感じるが、崩れつつあるのかも知れない。その意味では、身を削られる思いである。
思い入れのある僕でさえ、ある意味の「諦め」の支配に抗えない。時代は逆らうものではなく、先取りするものとは言うが…。
別のアプローチはある?
そんなふうに、島の将来を決して明るいと感じている訳ではなく、むしろ悲観的である僕に町の将来を託す職に就いてもらおうとは考えないだろう。決して負け惜しみではないが、賢明な人選だったと思うし、きっと飛び抜けたキャリアを持った方々が選ばれたのだろうと想像する。
僕はまた違った方面から島に貢献できる道を模索することにする。本心から期待しているので、躍進を祈っている。
森下昌彦(えむもりさん)
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