社会問題化しても、子供のいじめを我がごととして意識できる人は少ないと思う。でも、そのタネは何処にでも転がっている。
うちの家にはテレビがない。もう10年以上そうだから、何の違和感もない。
ただし、子供の世界では、それが奇異に映るらしい。少しでも人と違うところがあると、攻撃対象にしたがる。肌の色とか大層なものでなくても、突っついてくるのが子供なのだ。
〝トラブル〟って程じゃないが…
娘の習い事で同じクラスの子。ヤンチャと言うか、なにかとイザコザを起こしがちな子がいる。聞くと、家庭的にもややこしいらしくて、寂しいのかなぁ?という思いがよぎる。
その子に、うちの娘がからかわれた。
「アンタとこ、テレビないんやろ?貧乏やからかぁ~!」
大人にしてみれば、なんのダメージにもならないが、小学生が言われると結構辛いのだそうだ。
「放っとけ」とアドバイスしたが、釈然とはしない様子で、悔しがっていた。
ここは毅然と
そんな時、妻がその子と偶然出くわした。こういう場合、大人相手だと急におとなしくなったりするのかと思いきや、この手のタイプはそうじゃない。
ちょっと舐めてる感じで、「ホンマにテレビないの~ん?」ときた。
「ないよ。ないけど、パソコンで見れるから、見たいのがある時は見てるでぇ~」。
親として、おどおどするのではなく、威圧する訳でもない、ごく普通に同じ目線で話すことで、信頼関係らしきものが出来たのか?それとも、ただ単に「な~んや、おちょくっても面白くない」と思ったのか…。何れにしても、それ以来娘がからかわれることは無くなったらしい。
第一、そこの先生も居ることだし、子供同士のトラブルに気付かない筈もないだろうから、信用しているというのが大前提にある。
「逃げた」とは思わないが…
対して、その子といつもやり合っているらしい、ひとつ年下の子。そこのお母さんは、習い事の曜日を変えるという選択をしたそうだ。
色々な考え方があるだろうし、どれが正解かも分からない。でも、我が子とも、その相手の子とも向き合わず、手に負えないので引き離す事でその場を凌ごうとしているのなら、そこは少し違うように感じる。
気に入らない人とも仲良くしましょう、というのが教育だとは思わない。仲良くなる必要はないけど、気に入らない人とも最低限のコミュニケーションを取れるようにしましょう、くらいが良い。
曜日を変えて接触を避けるだけでは、コミュニケーション能力に磨きがかからない。
ぶつかり合って、うまく落とし所を見つけていく作業の中で、人間関係におけるノウハウを得るのであって、その機会を奪うのは、親としては辛抱が足りなくないか?
大人になってからぶつかり合うのは、なかなかに勇気のいることで、ハードルが高いことは、経験上よく分かると思う。
子供は「愛されている」を察知する
自分の小学生の頃の人間関係なんて、ほとんど何も思い出せないのだけれど、親が示す態度が、知らず知らず子供に染み付いていくことは、想像できる。
どうあっても良いのだけれど、我が子のために必死に食い下がったという経験は、もちろん自己満足なんかじゃない、それこそが立派な教育であり、愛情表現なのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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