雇われていようが個人事業主であろうが、仕事である以上、その「評価」が必要になってくる。成績を評価することは、すなわちフィードバックそのもので、未来に飛躍するためには、必須だ。
でも、それが「セルフチェック」だけだと、何の意味もなさない。
評価は、客観的で絶対的な数値の上に行われるべきで、そうじゃないなら、時間の無駄である。
セルフチェックシートを記入せよ
何度か、この「セルフチェック」なるものを強要されたことがある。そう、「強要」。
査定の際に参考にする、ということだとは思うが、参考になんかなる筈がない。意味がないと思われることを強いられることほど、ストレスフルなものは無いので、ホントいい加減にしてほしい。
意味な〜し!
テストの点数を自分で予測するようなものだ。
そんなもの、実際の点数よりも上を予測しても、下を予測しても、多分どちらも返ってくる反応は、「えぇ~?」なのである。
つまり、実際の点数よりも上を予測した場合、「全然届いてないやないか!もっと頑張らんかい!」であるし、実際の点数よりも下を予測したなら、「まだまだ頑張れるってことやな!」となって、どちらも甚だ気分が悪い。
全部最高点をつけてやる!
第一、これは自己評価でも何でもなく、ただの「性格テスト」じゃないか!
自分自身に、ためらいなく高評価を付けられる人と、奥ゆかしいと言うか、遠慮がちな人。自分がどちらのタイプかの判定をもらったところで、ひとつも嬉しくないのである。
ならば、本来の趣旨を全く無視して、全部の項目で最高点を付けてやろうじゃないか。「自己肯定感が高い人ほど幸福度が高い」と言うではないか。
ちょっと待て
しかし、そうしたところで、何処か背伸びし過ぎ感が滲んでしまうし、はっきり言えば嘘っぽい。
さらに、そんなことよりももっと重要なことを見落としていた。「自己肯定感が高い人ほど幸福度が高い」とは言うが、「自己評価が高い人ほど…」とは言っていない。
ちょっと、ハッタリをかます程度のことを打ち上げた方が、幸せになれるのかと思ったが、それは少し性急なようだ。
自分と向き合う
自己肯定感と自己評価の違いは何だろう?自分なりに考えてみた。
自己評価とはつまり、多かれ少なかれ比較対象として他人が介在する。これに対して、自己肯定感は、あくまでも自分自身の内面との語らいから生じる〝満たされ感〟のことなのだ。
過去の自分との対比なら、まだ良しとしよう。しかし、他人と優劣を競ったところで大した意味はない。天狗になったり卑屈になったり…。
目指すべき将来の自分の姿にフォーカスして、その場所に向かって微調整を繰り返す作業だけで、もう十分精一杯の筈なのだ。
その状態こそが、幸せのひとつの形なんじゃないかと、ふとどうでも良いこの「セルフチェックシート」を眺めて思う。
森下昌彦(えむもりさん)
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