5月12日の「豆イチ&無人島BBQ」の前夜に行われた、講演会。
実は、「参加無料だし、行ってみるか…」くらいのノリで顔を出した。初心者向けの「自転車乗り方講座」のようなものを想像していたのだが、完全に裏切られた。
少子高齢化の荒波に直面する小豆島だが、その将来は捨てたもんじゃないのかも?と、明るい気分にさせられたのだ。
早速紹介しよう。
小豆島の明るい未来への扉は、すでに開いている
北海道の「ニセコ」をご存知の方は多いと思う。
言わずと知れたスキーリゾートだが、近年外国人が大挙して押し寄せているという事で話題になった。
そのニセコで、スキーや自転車を通じて地域振興をプロデュースする会社をされている、高橋幸博さんのお話から得た気づきをもとに、僕なりに考える小豆島の将来像を考えてみる。
また、その実現に向けて僕が出来そうな事、いや絶対にやりたい事を書き連ねてみることにする。
ニセコをすべて真似る?
ニセコを訪れる観光客が落としていくお金は、ひとり頭なんと50万円だそうだ。
遠方からやって来て、日帰りなんてあり得ないし、リフト代にしても食事にしても、結構な出費になることは分かる。それにしても、家族で来れば数百万円の出費になることを思うと、「凄い」しか出てこない。
世界的な高級ホテルチェーンである、リッツ、アマンなどが進出している事実からも、只事ではなくなっているのがよく分かる。
僕は悲観論者ではないが、それをそのまま小豆島に持ち込めるか?と言うと、ちょっと違う気がする。
小豆島が内外に誇れるものは何だろう?
観光の意味
観光が重要な産業であることは間違いない。でも「観光」の言葉からイメージする通りの、いわゆる景勝地を見て歩く、名産品を食べる、だけに留まっていては、その継続性はなんとも心細いものになりそうだ。
まあ、食べるのは実体験がないとどうしようもないが、「観る」は画面上で〝予習〟した情報を確認しに行くだけの、ただの作業に過ぎないという面が、今後色濃くなってくるのは間違いない。
そこで、それにプラスα、他にはない価値を付け加えられるとしたら、やはり「人」以外に考えられないのだ。
「死ぬまでに見たい世界の絶景」なんか無いし、「ミシュランお勧め超高級レストラン」も無い。それでも、ポジティブで周りに元気を振り撒いているおばちゃんなら、いくらでも居る。「またおばちゃんに会いに行こ」と思ってもらえるのが、おもてなしの究極であり最終目標なのだ。
僕はそこを目指したいと思っている。「老若男女、なんか分からんが元気な人がいっぱい居るぞ」的な島に、笑顔の人が集まらない筈がないのだ。
僕の場合、今からおばちゃんにはなれないので、元気なじいちゃん、それも「スーパーじいちゃん」を狙うことにする。
自分も楽しむ
何かを用意して、「観光客に楽しんでもらおう」というスタンスではダメだと思う。率先して自分が楽しむのだ。
今のところ、「島のサイクリストが増えた」というニュースを聞かないのは残念だ。
年寄りでもいい。電動自転車でもいい。やってみたらきっと楽しい。楽しくなったら、自然にそんな顔になっているに違いない。その瞬間から、完全受け身だった人も「楽しい」を発信するインフルエンサーである。
「こんなに面白い!」を発信する
「発信」はネットでするものだけではない。もっとアナログに「近所で喋る」でも立派な発信だ。
結局は、「面白そうに笑って歩く」でも良いんだから、「難しくて出来ない」は御法度。
「これ楽園じゃん!」を伝える
島の穏やかな海を見て、時々思うことがある。
「これ楽園だよ」と…。
子供の頃から見慣れた、普通の光景。ある意味何もない。でも、どこにでもあるという訳でもないことに気づく。
リゾートマンションはなくても、温かく濃密な優しい空気感がある。その方がずっと貴重で、誇らしいのだ。
まとめ
「楽園がここにありますよ、愛すべきパワフルな人がいっぱいです」を伝え続けることが、僕なりの地元貢献だと考えているのだが、それをさらに広げていきたいと、強く感じさせてくれた講演会であった。
島外の方から、「小豆島最高です」「どこにも負けてない」という言葉をたくさん聞くことが出来た。自分が褒められたような気分で、この島がさらに好きになったのだ。
やっぱり確信していいのだ。「小豆島の未来は間違いなく明るい」ということを…。
森下昌彦(えむもりさん)
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