下重暁子氏著「夫婦という他人」書評 ~目指すは〝付かず離れず〟~

僕の場合、既に結婚して13年を過ぎようとしている。

「当然ながら」と言っても誰も異論はないだろうが、四六時中イチャイチャベタベタしていたい、などという気持ちは、氷が溶け切った水割りほどに薄まった。

しかし、それが悪い訳じゃない。それぞれのフェーズでの関わり方というものがある。夫婦関係は常に流動的で、それが徐々に「深まっている」だけのことで、その意味では日々のちょっとしたイザコザも、むしろ喜ばしい。

「クソー、もう勝手にせい!」と怒ってしまう前に、頭を少し冷やすのに最適の一冊を見つけた。

早速紹介しよう。

下重暁子氏著「夫婦という他人」書評

自分はかなり進歩的で家庭的な考え方をしている、と思っている。だって、家事も子育てもちゃんと手伝っているではないか。

それなのに時に妻の機嫌が悪くなるのは、彼女の心持ちそのものに問題があるのであって、もっと「デキた奥さん」なら、ちゃんとダンナを立ててくれるに決まっている。

わぁ、もう完全に「家庭内で浮いている頑固オヤジ」の様相である。ヤバイ。昭和の遺産と言っても良い。

「仮に何も言わなかったとしても、分かってくれているし、当然後ろから付いても来てくれる。」

あぁ、幻想…幻想…。何しろ夫婦は他人だ。

僕が得た気付き

「こうしてくれるもの」と勝手に思い込んでおきながら、それが達成されないと「裏切られた!」と大騒ぎしかねない僕に、穏やかで満たされた夫婦生活をもたらすマインドを植え付ける為に、3つの心掛けを意識したい。

  1. 自分はダメだと自覚する→相手に求めなくなる→相手に期待しない→自分の可能性を信じる
  2. 子供のこと以外の会話
  3. 所詮、寂しさや不安は自分で解決するもの。そのための経済的・精神的な自立→自分とは異なる部分を認める
下重暁子さんの本
気付きがいっぱい

「1」について書こう

前述のように、妻に「デキた奥さん」でいることを求めるのは、つまり自分はそう扱われるに値する人間であるという傲慢が、裏にあるということだ。大したことはないとは思いつつも、そこを拠り所にしないと何とも儚い存在なのだ。

妻が居ないと目も当てられない事態になることは、火を見るよりも明らか。相手に多くを求めるのではなく、ただ感謝を思いっきり伝えることに、労力を費やそう。そうすれば、もっと自分のすべきことに意識が向くはずだ。自分の未来を足枷することなく、大きく設定できるのである。

「2」について

「何げない会話が幸せ」なんて感覚は、かなり昔に置き去りにしてきた感覚だ。

夕食の時間を、貴重な会話の時間に充てた方が良いだろう。我が家は「食事中のテレビ禁止」だが、何故かスマホは「なあなあ」である。これはイカン!

そして「3」について

これはつまり「人間の大きさ」が問われている。

夫婦は「2人で1人」ではダメなのだ。「1+1=2」かそれ以上であるべきで、寄り添いつつも、寄り掛かってはいけない。しっかりしなきゃあならんのだ。

互いにしっかりして尊敬しあえれば、少しぐらい「ちょっと違うな」と思うことでも、全く気にならなくなるだろう。

なるほど「大人の関係」っぽい。

「捨てたい」って…
捨てられないように頑張ります

まとめ

詰まる所、僕の現時点での夫婦の理想型は、「付かず離れず」にあるようだ。

勿論関心がない訳じゃない。余分に相手の中に入り込まない、というスタンスこそが最善なのだ。

夫婦だって、独立採算制を基本に自分を磨き続けることが大切。相手にイライラしている暇があったら、そっちに時間を振り分けよう。

The following two tabs change content below.

森下昌彦(えむもりさん)

大阪在住50代。妻と1女1男。  長く医療業界に携わったが、軸足を移すことを模索・実行中。 詳しいプロフィールはこちら