残念なことに、今年の秋も台風が凄まじい爪痕を残すことになってしまった。
災害国日本の宿命とはいえ、あまりの痛ましさに言葉を失う。
被災された方々に、何をどのように届けるのが最良なのか?また、それが叶うのか?個人の力では全く及ばないが、じゃあこの国はその機能を有しているのだろうか?
知る由もない。ただ願うのみである。
追い討ち
東日本大震災による原発事故で、帰還出来なくなった地域に住んでおられた方々は、その生活基盤を大きく失う事になった訳だが、その中のおひとり、キウイ農家の方がテレビに出ておられた。
家と畑を泣く泣く置き去りにし、新しい土地でまたゼロから、それこそ土を作るところからの再出発をされて、やっと数年ぶりにキウイが獲れるというところまで漕ぎ着けたところで、今回の水害に襲われたそうだ。もちろん全滅だ。
「心が折れる…」、と絞り出しておられたが、あまりの悲惨さに直視できない。
アンダーコントロール
安倍首相は福島原発を「アンダーコントロールだ」と言ったが、僕は信用していない。公文書の改ざんくらい平気でやってしまえる安倍政権だから、という訳ではない。
人類の歴史上のある一点に、深刻な汚点を残すことになっただけではない。何世代も先の未来にも、計り知れない不安をばら撒いてしまったのだ。
僕は科学者ではないが、そんなことくらい分かる。
妻は、今も「福島産」と書かれた野菜も魚も決して買わない。「そんな感情的行動がますます風評被害を広げる」という批判もあろう。
しかし、「健康に影響を及ぼさない」と言うが、良いか?悪いか?と問われれば、悪いに決まっているではないか。相手は放射能である。拒絶の姿勢を示す人がいても、当然だ。
僕も、原発政策に対しては、これまで一度たりとも賛成票を投じたことはない。いつでも即刻やめるべきだと思ってきた。
しかし、国としてそれを推し進めてきた以上、有権者のひとりとして、一国民として、皆それぞれが責任を負うという考え方もあって然るべきではないか。もう「関係ない」では済まされない。
福島産の魚も野菜も食べようと思う
そこで、僕は決めた。
福島産の野菜も魚も食べよう、と…。
積極的に選んで食べようということではないが、毛嫌いすることはしない。また、妻や幼い子供たちに強要することも、もちろんしない。これまで通り、食べなくて良いと思う。むしろ、食べないで欲しいという気持ちも強い。
僕は、福島の漁師の方や、農家の方がかわいそうだから、こんなことを言うのだろうか?
ラグビーの日本代表チーム宜しく、「One Teamだから」というのが優等生的答えなのかも知れないが、正直なところ僕にはまだ分からない。
ただ、誰かがピンチの時なのに、「個人の自由じゃん!」とか言って、自分のことが最優先されているとしたら、なんとなく心が成熟してないなぁ…、とボンヤリ感じたに過ぎない。
森下昌彦(えむもりさん)
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