こんなに長く小豆島に帰れない時期が続くとは思ってもいなかった。
これまでとは明らかにフェーズが変わって、終息どころかますます深みにハマってしまっている印象だ。
都会の人には時に煩わしくもあり理解に苦しむところでもあるが、そんな時でも、田舎の人の繋がりというのは強固であるらしく、親類の方が放置状態の空き家の周りの草刈りをしてくれたりしているらしくて、本当に有難い。
この酷暑の中、仮に僕が同じことをしようとすれば、慣れない草刈り機の操作だけでも相当のストレスとなるであろうが、その上アブやハチとの格闘も予想され、家の中に入るだけでも簡単にはいきそうに無い。
とにかく2年近く誰も足を踏み入れたことのない空き家の中が、どのような状態になっているのかは想像すら難しいものの、「もし想定以上のことが起きていたら…」とネガティブ思考に頭を支配されてしまいがちだ。
Awe(オウ)体験
「大自然」と言うには些か迫力不足の感は否めなが、小豆島にだってそれなりのものはある。
その大自然を感じる時に、「自分はなんてちっぽけなんだ」という感覚に包まれることがある筈だ。そのような自分の存在の小ささを感じる体験を「Awe(オウ)体験」と呼ぶらしい。
Awe体験をしている時の脳がとても活性化しているということが分かってきているそうで、謙虚になる、前向きになる、素直になる、物事に感謝できるなどの精神的な安定のみならず、体の炎症を鎮める物質の濃度が上がるということも実証されていて、心身ともにパフォーマンス爆アゲ状態を作り出せるというから聞き逃せない。
船に乗って静かな瀬戸内を行くのもAwe体験だろう。いつでも波の音が聞こえるほどの場所に家がある。山からは、水平線が丸いことがはっきりと分かるほどの壮大な景観が楽しめる。
ただ、僕にとってはそれだけではないのだ。
自分だけじゃなく、今だけでもない
自分の先祖であることは間違いないにしても、顔も知らない人から受け継がれたバトンがある。滅多に会うこともない人なのに、「親類だから」と理由で暑いにも関わらず家の周りを掃除してくれる。
「なんて自分は小さい存在なんだろう…」。
目に見える自然だけじゃなく、この人の繋がりがあまりにも壮大で、これらの総和が僕にとっての「Awe体験」をもたらしてくれているのは疑いのないところだ。
そんなわけで、例えコロナ禍が長引こうとも、相変わらず「僕の魂は海を渡って行ったり来たり」が続いているのである。
ただ一言「ありがとう」
そうは言うものの、現実的には大手を振って出掛けるのも躊躇ってしまう。
でも今や便利なものもあって、動画でも幾らかの効果は期待できるらしい。FacebookやTwitterなどを通じて、島の知り合いが最高の景色をアップしてくれているのを、ついつい長く見てしてしまうのが常だ。
心休める方法はそれぞれにあろうが、どうか混迷の世の中にあっても、打ちのめされることなく過ごしたいものだ。
そのキーワードは僕の場合、「自分は小さい、でも自分は繋がっている」なのかも知れない。
今のところの結論である。小豆島が教えてくれた。
森下昌彦(えむもりさん)
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