久しぶりにスタジアム観戦したJ1セレッソ大阪の試合。
しかしながら、この日はとにかく「コテンパン」にやられた。スポーツだから、まあそんな日もあるだろう。仕方ない。
でも、行き着くところ、何のためにスポーツをして、またそれを見る人がいるのか?
それは自己成長に繋がるからだ、と僕は考える。それを思うと昨夜の試合は、また別の意味でも、とても残念なことになってしまったと感じている。
大前提にあるのは「冷静」であること
そのひとつ、セレッソ大阪が敗色濃厚となった終了間際、審判に執拗に詰め寄って、イエローカードを受けたFW杉本健勇選手の行為。また、終了のホイッスルが鳴ると同時に、悔し紛れに相手ゴールへボールを蹴り込んだ選手(水沼宏太選手?松田陸選手?判然としませんが…)が居たことがもうひとつ。結果として、センターサークルに整列しようとしていた副審に、ボールを取りに行かせる羽目になった。ゲームは終わったとはいえ、十分に警告対象になる。
イライラが募る試合内容であったことを差し引いても、どちらも「言い訳無用」「論外」なのである。
勝つためだけにやっているのか?
「プロだから勝てばいい」という訳にはいかない。勝って行く中で、人間的に成長しなくてはならない。当の選手も、サポーターも、組織としてのチームも…。そうでなければ、勝ち続けることは不可能だ。真の意味で、「勝者に値する」ところまで迫ってみたい。
若い選手が多い中で、なかなか分かりにくいこともあろうかと思うが、一流の選手には、一流の人間性が備わっていると思ってほぼ間違いない。勝ちに拘るのは結構、負けたら悔しいのももちろん結構、ただし、自分を磨くことも並行して意識しておかないと、「尊敬」も何もあったもんじゃない。
「謙虚さ」と「素直さ」
話は逸れてしまうが、自らを「球界の盟主」なんて勝手に言い続けてきた某在京球団の近年の凋落ぶりは、敵ながら目を覆いたくなるほどの惨状だ。
こんなところで僕が何を言おうと、ほとんど影響力なんかある訳ないので言ってしまうが、あれだけ様々な不祥事、スキャンダルが立て続けに起こる背景に、「驕り」がないとは絶対に言えない。
豊かさの下地は「熱いココロ」
サッカーで勝つことは、大きな目標のひとつだ。それは間違いない。そして、そこに「みんながココロ豊かになって幸せになる」というのが付いてきたら、何倍も嬉しいじゃないか。
その輪に僕も入りたいと思っているし、その「輪」自体が、大きく膨らんでいく世の中を見てみたい、と思っている。
だから、これからもセレッソ大阪も阪神タイガースも大好き。
小豆島にだって、もっと熱くて激しいウェーブが起きることを望んでいる。
自らの奥深くを探求できる理想主義者の力が、ひとつの旗じるしの下結集した時の、ピリピリが混ざったワクワク感こそが、ココロが磨かれていく時のサインなのだ。
森下昌彦(えむもりさん)
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