家族に小さい子供が居ると、休日にショッピングモールへ出掛けることが多くなる。暑さも寒さも凌げるし、時間が潰せて、かつ子供は広いフロアを走り回ってストレス解消。親は目の保養が出来て、何だかスッキリ。
でも、子供がそこそこ大きくなってきたのを見計らって、僕的には、もうウインドウショッピングからは卒業したい。
今までとは違う感覚に気付く
理由はただひとつ。全くスッキリしなくなってきたのだ。それどころか、苦痛でさえある。
なぜならば、モノがあっても幸せにはなれないことに、もうとっくの昔に気付いているからだ。
言っておくが、物欲が無くなった、というのとは少し違う。溢れ出そうなほどのワクワク感を伴ったモノが、見当たらないのだ。
感動を押し売りされていた?
「欲しいなぁ」と思ったのちに、実際に手にすることが出来たとしよう。それでも、あっという間にその熱が冷めてしまうことが、もうこの歳になれば、経験上はっきりと予想できてしまう。
「モノを買え!」という呪縛のままに行動した過去を超え、冷静に各々が、当然多様であるはずの、自身の幸せを追求する姿勢が容認されてきているのだ。
スーパースポーツカーならドキドキものだが、普通のベンツ・BMWなら、「乗用車」だ。人生がひっくり返ってしまいそうなほどの、インパクトには乏しい。
ホントは何が欲しい?
じゃあ僕は、モノではない何に、溢れるワクワクを感じる人間なのだろうか?
年末年始を挟んで、「夢リスト」を書き連ねる作業をしているが、大きく分けて、僕の目指すところは、僅か3つに集約されていそうだ。
まずひとつは、「感動したい。」
何かを見聞きして感動するのも良いが、受け身ではなく、自ら感動を作り上げたい。
次に、「それを仲間と共有したい。」
一人だけの力では知れているし、いろいろな人の協力を得た方が、実現可能性も高くなって楽しい。それに何よりも、僕は「熱い人」が好きだ。
そして、あとひとつ。「成長にフォーカスしたい。」
昨日と今日が同じ、という状態に、強く違和感を覚える自分でいたい。新しい自分に変わっていくことに、真の喜びがあることを自分自身に刷り込んでいく作業を徹底するのだ。
自分の感覚に素直になれ
「コト消費」なる言葉が使われ出して久しいが、要は「体験」こそが全てである。体験からフィードバックすることを繰り返して、人は成長できる。
「モノ」から、自分は何を感じることが出来るのか?「コト」から、何を感じることが出来るのか?
その感覚を磨くことが、自分が本当に望む、進むべき道を明るく照らしてくれるはずだ。マインドフルネスの考え方そのものでもある。
頭を巡らせているうち、すっかり楽しい気分になっている自分に気付く。やはり、未来は自分の中にあるのだ。外へウロウロと探しに行くものではない。
森下昌彦(えむもりさん)
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